今週のお題「最近やっと〇〇しました」
今更ながら『タイタンズを忘れない』を観た。D.ワシントンの映画にはほぼ外れがないと定評で、自分自身デンゼルのファンなのにも関わらず。
観なかった理由はステレオタイプの展開を予想できたからなのだが、名作と言われる脚本と演出があるのだと痛感した。
同じことを何度も繰り返している。『フィールドオブドリームス』がその一例だ。明石家さんまさんが大竹しのぶさんに「バカみたい」と言われたそうだが、私はさんまさん側である。泣いた。でも『フィールドオブドリームス』の話は長くなりそうなので別のブログに書くことにしよう。
事実に基づくとされるストーリーはシンプル。D.ワシントン演ずるアメフトコーチブーンがヴァージニア州にある高校のアメフトコーチとして就任する。時は1971年、人種差別のまだ強い時代。アシスタントコーチとして雇われたはずだったけれど、アファーマティブ・アクション法(全人種を平等に扱うことが求められる)の施行によりヘッドコーチとして就任することになる。白人のヘッドコーチであるヨーストはアシスタントコーチに降格。ヨーストは勿論、ブーンにとっても受け入れがたい状況となってしまった。人種差別意識は根強く、黒人である彼が白人の上に立つことに難色を示す人々はまだ多いからだった。
環境のみならず、生徒/選手やその両親の心境も複雑になる。物語は予想通り、選手達が差別意識を乗り越えお互いを信頼しあう関係性を築き、大会でも勝ち進んでゆく。
ただでさえ人種差別の問題があるにも関わらず編成された白人黒人の混合チームなのに、選手間の絆を築き上げ勝利に導いたブーンが主役として強く見えるが、実は元ヘッドコーチヨーストの存在感と影響力もかなり大きかったのではないかと思う。寧ろこの人の成長の方が大きかったのではないか。他のチームからのスカウトの話や殿堂入りの話など、彼自身葛藤を抱えていただろう。それでもチームをまとめてゆくブーンを認めサポートしてゆく姿に、実はヨースト視線で物語は進んでいることに気付かされる。
決勝戦のハーフタイム中、ブーンとヨーストが選手達を鼓舞するシーンは名場面とされるが、個人的には違う。決勝戦終盤、R.ゴスリング(!)演ずるアランがヨーストに「自分には無理だ、ペティーの方が向いている」と言う。ヨーストは答える、「自分で言ってきたらいい」ヨーストが伝えればそれは単なるコーチの判断となるが、白人であるアランが敢えて黒人のペティーに申し出ることはお互いの信頼を伝えることに他ならない。それはヨースト自身が敢えて一歩引きブーンのアシスタントとなったと同じこと。同じ目標を分かち合い達成するために不可欠であると誰もが学んだのだった。
もう一つの名シーンはゲーリーが看護師に向かって黒人であるジュリアスのことを「俺の弟だ」と言うところ。
25年前の映画、王道のストーリーと展開はありきたりに思えてもそこには人間のドラマと云う他とは異なる味付けがある。
いつも思うのだけれど、葛藤のない人間なんて薄っぺらでつまんないのよ。